万博に仏教という補助線を引いてみたら、何が見えてくるのか? 本展では、万国博覧会に出展された仏教に関連する展示物を概観しながら、近代における仏教のイメージの受容と、その変遷について考察してみたいと思います。
いち早く近代化を果たした欧米列強は、産業振興のため、そして国力を誇示するために、多くの万国博覧会を開催してきました。
19世紀以降、日本もこうした流れに遅れまいと参加してきましたが、今回、本展で注目するのは、この万国博覧会に日本が出展してきた多くの仏教に関係する造形物です。
例えば、明治政府として初の公式参加となったウィーン万国博覧会(1873年)では、《鎌倉大仏頭部の張子》や《五重塔の模型》が展示されました。
さらには、シカゴ万国博覧会(1893年)で建設された《平等院鳳凰堂外観を模した日本館》では、仏教イメージは展示物だけにとどまらず、パビリオンの外観そのものにも表出していきました。
こうした仏教イメージが、西洋からのオリエンタリズムのまなざしを内面化したものとして用いられたことは容易に推察されます。他方で、日本がそれを戦略的に利用した背景にも興味深いものがあります。
また同時に注目したいのは、1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)における仏教イメージのあり方です。
これは、アジア初の万国博覧会として知られていますが、即ちそれは、仏教を信仰する人々が多数訪れる初めてのそれであることも意味していました。
そのため、これまでの欧米における万国博覧会では、あくまで物質として機能し、おおよそ信仰とはかけ離れた存在であった仏教関係の展示物が、大阪万博では多くのアジア諸国からの来場者に、信仰の象徴が展示された空間として受けとめられたのです。博覧会における仏教イメージが、オリエンタリズムから宗教的意味を帯びる存在へと変化したという点において、画期的な万博だったと言えるでしょう。
本展が万博の、そして近代仏教の新たな魅力が発見される契機となれば幸いです。
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